「薬剤師への道標」 (第2回)

5.フリードリッヒニ世について

さて、医薬分業という問題があります。薬剤師と医薬分業というのは切り離せないですね。ちょうど13世紀の初頭、神聖ローマ帝国にフリードリッヒ二世という王様がいました。このあいだNHKで取り上げていてびっくりしたのですが、神聖ローマ帝国というのはキリスト教国の代表の国で、イスラムに対峙している。だから、いまイスラエルでやっている問題も、あるいはアメリカが乗り込んでいってアフガンやイラクでやっている問題もそうですが、元を正せば宗教戦争ですね。これはキリスト教とイスラム教の戦争になんです。その中で、非常に長い歴史のある……キリストが生まれたのは西暦0年か1年かですが、そういう宗教が生まれてきて、宗教対立が起って、キリスト教とイスラムというのは戦争のしつぱなしです。第何次十字軍というのを派遣していって、いまでもやっているわけです。その歴史の中で、たった40年間だけ、イスラムとキリスト教が戦争をしなかった時代があります。これが、フリードリッヒ二世という王様が統治した1210年から1250年の間の40年間なんです。これはまさにイスラムとキリスト教がうまくいった時代です。
なぜうまくいったかという問題ですが、このイタリアのシシリー半島で生まれたフリードリッヒ二世という人は、非常に感性の鋭い、ナイーブな王様です。しかし、このキリスト教の、後に王様になる人は、たまたま小さい時にイスラムの指導者の家で育てられたんですね。小さい頃からイスラム文化に親しみ、そしてキリスト教の血筋ですから、縁あって神聖ローマ帝国の王様になるわけですが、フリードリッヒ二世は、1210年に18歳で王位を継ぎます。ちょうどあなた方の年代で神聖ローマ帝国の王位を継ぐわけですが、こんなことを繰り返して、戦争をしていてもしょうがない、やはり平和がい ちばんいいということで、イスラムの指導者をよく知っていたんでしょう、そして手を結んで、戦争はやめようと。イスラムの文化、キリストの文化、お互いに尊重しながらやっていこうということで協定を結んで、以後40年間、戦争をしなかったという歴史があります。

6.ヒ素と銀食器

実は、この人が医薬分業、薬剤師と非常に関係があるんですね。このナイーブなフリードリッヒ二世という王様がいちばん怖がったのは、当時、中世ヨーロッパでは、毒殺の歴史があって、特に王位継承者に対する毒殺が頻繁に起こっていました。次々と王様が一服盛られて殺されてしまう。一服盛られるのは何かというと、ヒ素です。和歌山のカレーライス事件というのがあったでしょう。ヒ素というのは無味無臭ですから、水に溶ける。そしてカレーライスの中に入れて食べさせたという事件がありましたけれども、毎日食べさせていると、いつの問にか、何の病気か分からずに死んでしまう。食事の中に入れて非常に微量ずつ食べさせていると、これは何で死んだか分からないわけです。ですから、ヒ素による毒殺というのはものすごく歴史が古いんですね。どこの国の王様も、自分の食事の中にヒ素が入っていないかというのがいちばんの問題だった。それをどうやって発見するか。毒見役がいるけれども、毒見役というのは、毒見役がその場で死んでくれないと意味がない。それくらいの強い毒でないとダメなんですね。毒見役はピンピンしているけれども、毎日入れられて3年でやられる毒がいちばん怖い。そういうヒ素というものがずっと使われてきたわけです。
それを、銀の食器を使うことによって防止できるということを中国で発見するんですね。もう古い歴史の物語ですが、銀の食器にたとえばカレーライスを盛ったとすると、銀とヒ素が化学反応を起こして銀食器の色が変わるんです。色を変える、化学の反応ですね。そのために、中国から始まって、現在でも王家とか伯爵といったところでは全部銀食器です。お金持ちだから銀食器を使っているんじゃないんですよ。命がけで銀食器を使っている。本当に贅沢をしたいのなら、金の食器を使えばいいわけですが、金ではダメなんですね。銀の皿と銀の匙を使わないとダメ。そこはそれで解決をする。ですから銀食器を使うことによって、ヒ素といういちばん嫌な毒から守られるわけですが、問題なのは、宮廷医が一服盛るという問題があるんですね。つまり、悪い連中が出てきて、その王様を殺してこちらの権力者を、立てたいというので、兄弟、親子で争った。日本の歴史もそうです。風邪をひいて熱が出る。そこへ宮廷医がやってくる。もう信頼しているお医者さんですよね。「これは風邪であろう。じゃあ薬をつくって与えましょう」と言う。ところが悪い連中と組んでいるから、そのチャンスを待っていて、一服盛って殺してしまう。おまけに死亡診断書を書く。医師というのは、処方ができて、調剤ができて、死亡診断書が書ける。ある時期、ずっと日本もそうだった。いまでもそういう部分があるのですが、当然西洋でもそういう時期をずっと経てきた。つまり診断をし、処方をし、調剤をし、死亡診断書を書くということは、闇から闇に葬られるものなんですね。

7.医薬分業のこと

このフリードリッヒ二世という王様は、特にイスラム圏の文化にも非常に通じていますから、何かいい解決方法はないかということで悩むわけです。それで、頭のいい人を集めて賢者会議をやります。私が一服盛られない方法はないかということを問うわけですが、いまでいう諮問(しもん)と答申ですね。そうするといいアイデアが出る。それはイスラムのアイデアなんですね。アラビア半島のアラビアには9世紀頃から薬局があって、薬剤師がいる。どういうことをやるかというと、お医者さんは診断しかできない。薬を盛れない。処方せんを書く。風邪だといったら、必ず処方せんを書く。いま医薬分業でやっている処方せんを書くわけですが、この処方せんは、王様がどの薬剤師で調剤をしてもいいという、つまり、患者に自由がある。風邪でこの処方せんを貰った時に、信頼できる薬剤師のところに行って、「この処方せんの中に書いてある薬は毒じゃないですね。危なくないですね」ということで、それでもまだ不安だったら、別のもっと信頼できる薬剤師を呼んできて、「これは大丈夫か」と聞くわけです。それで、もし「いや、これはダメですよ。毒です」ということになると、王様が飲む前に、それを書いたお医者さんの首が飛ぶシステムなんです、これは。いまでもそうですよ、ドクターが自分で診断をし、処方をし、調剤をし、という人がありますが、最後に死亡診断書を書けるという権利をお医者さんは持っていますから、ここが問題になってしまうんですね。日本でも長い間そういうことをやってきた。薬は儲かるからたくさん飲ませちゃおうと。診断、調剤が全部できるということになると、そういう弊害(へいがい)が出てくる。好むと好まざるとにかかわらず、殺すとか、そういう意図を持っていなくても、たくさん薬を飲ませたほうが余計に儲かるという制度をつくったらえらいことになります。

8.五カ条の法令

そして、この制度を自分のことだけではなくて、国の制度にしようと考えたんですね。それが1240年に神聖ローマ帝国で、フリードリッヒ二世が出した五カ条の法令という法令です。これが医薬分業といわれる薬剤師が表に出てきた初めての法律ですね。つまり、医師が薬室を持つことを禁じる。お医者さんが薬室を持つことを禁じるというのは、院内調剤ができない。やったら国で罰則を与えるという法律をつくったわけです。これが1240年です。しかし、薬剤師のほうも何をやるか分からない。西洋では人間不信、つまり医者も悪いことをするけれども、薬剤師もやるだろう、偽薬みたいなものを持ってきて、それを「処方せんのこの薬です」というふうに渡しかねない。だから、お医者さんの医院が時々薬局を巡回することにしよう、偽薬なんて置いていないだろうなと。そして、薬局の数を一定の地区に制限しましたが、それは監視しやすいからというわけです。
薬品調製の基準を定める、これは日本薬局法、あるいは世界の薬局法がありますが、このような基準値というものをこの当時つくっているんですね。そして、薬価というものを制定して、常に皆さん方が一定の値段で、いまの保険薬価みたいなことでやろうということをつくった人が、フリードリッヒニ世という王様です。そのときに、イスラムの方から薬局というものを持ってくるんですね。薬剤師というのは、錬金術師を先祖にしているといわれています。錬金術というのは、何とか普通の何でもない金属から金をつくり上げたいというので一生懸命研究をした時代が中世にあって、その時に化 学、ケミストリーというのは発達をします。それがいまの薬学の基礎になっている。人間の欲というのは、逆にいうとそういうものを持ってくるということですね。

 

本稿は、平成16年4月8日 に武蔵野大学薬学部にて開かれた特別講演を元に作製されております。